有松は17世紀の初めに拓かれた宿場町で東海道の中では比較的新しい宿場町です。尾張藩が間の宿(あいのしゅく)として、鳴海宿と池鯉鮒宿(知立)の間に町を作る事になり、これが有松です。その時に尾張藩の奨励を受けて、この地を開拓し移り住んだのが知多・阿久比の竹田庄九郎です。
竹田庄九郎は農業の副業として、当時国内有数の木綿の産地であった知多の木綿に付加価値をつけて、この地で売ろうと九州の豊後絞から新しい絞の技法(括り)を考案しました。これが有松絞の始まりです。
有松の建築
有松は、天明4年(1784)の大火で全戸の建物を焼失してしまいました。
商家を建築するにあたる、様々な防火対策が施され、現在では有松ならではの風情を醸し出しています。
重要文化財にも指定されている服部邸、竹田邸、岡邸などが旧東海道沿いに残っており、各建物の前には案内板が設置されています。
塗籠(ぬりごめ)造り』…
城の建築にも用いられる技法で柱や梁などの構造体を漆喰で塗り込む造りです。
虫籠(むしこ)窓』…
虫かごのようなたて格子をつけた窓です。通風と明かり取りのために二階の窓に設けられます。
海鼠(なまこ)壁』…
土蔵の腰に用いられる工法で、平瓦を45°に張り付けて、ななめ格子型になった目地の部分漆喰で馬乗り型や四半型に盛り上げて塗ります。防火のほか、泥棒の被害からも蔵を守りました。
卯建(うだつ)』…
防火のために、軒境に設けられた袖壁です。

ありプロ&地域HP有松の歴史より


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